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天然温泉 ゆの華

ミネラルも多く含んだ天然温泉!
ココロもカラダも満足のリラクゼーションパラダイス!

  • 営業時間 ※不定休(年3回)
    10:00~22:00
    (金・土 ~23:00
    入浴受付:閉店30分前まで
    電話番号:0957-50-1126

入浴料

対象
会員
一般
大人(中学生以上)
700
820
小人(小学生以上)
300
370
幼児(3歳までは無料)
170
220
  • 回数券10枚綴り:一般・会員共に6,500
  • 家族風呂:1時間15分、入浴料は別途1,800円(会員1,600円)
※ボディーソープ、リンスインシャンプーは備え付けです。
※泥酔された方、刺青、タトゥーのある方の大浴場へのご入浴はお断りいたします。
※価格は2022111日現在

宝庫原の湯 露天風呂

現放虎原一帯の平野は、多良岳の火山灰と腐葉土からなり、土地が非常に肥えて農産物が豊に実るので宝の原、宝のくらであるという意味から、宝庫原の名称が生まれました。

この宝庫原は、かつては草ぼうぼうたる平野で、今から約350年前徳川初期の頃まで、殿様の鷹狩りの猟場であったものを本格的に開拓して、畑となし、山林となし、道を作り、人家を起こしたのは、豊臣秀頼に仕え、後に大村家に預けられた松田道獣(どうじゅう)で、その後を引き継いだのが千葉ト枕(ぼくちん)でした。

当時の開墾地は平野で水利の便がほとんどなく、これが悩みの種であったため、ト枕は万難を排して萱瀬川から水を引くため新溝開さくの事業を起こしたとのことです。現在桜馬場を流れる小溝がその名残を残しています。
このように原野を開拓し、宝庫原に作り上げた先覚者の苦労と当時の風景に思いをめぐらせていただき露天風呂を楽しんで下さい。

箕島の湯 露天風呂

箕島には約800年前に人の手が入った記録が残されていますが、本格的に人々が住みつくようになったのは江戸時代の初め、今から約400年前のことです。そのころの島の様子は松の木が三千本以上も生い茂り、その間を鹿が駆け回っていたといわれています。

その後、山が開墾されて畑となり、農業が行われるようになりました。ここは冬でも霜が下りず、温暖であったため、特にみかん、西瓜、大根はこの島の名物として、人々に大変喜ばれたとのことです。
昭和46年の島内には、13戸、66名の人々が生活を営んでいました。

しかし、この年に島の歴史を大きく変える決定が下され、箕島を海上空港に造り変えることとなったのです。
翌年の昭和473月に島民は住み慣れた島を後にして大村の市内に移り住みました。
そして、昭和505月には、世界初の海上空港が完成し、箕島は新しい歩みを始めました。

現在は滑走路の長さも3000メートルとなり、東京・大阪を始め国内34便、国際便2便の飛び交う国際空港として、また、長崎県の空の玄関として利用されています。
大村湾に浮かぶ箕島の歴史を振り返り、往事の島の風景を思い出しながら露天風呂の一時を楽しんでください。

ゆの華ギャラリー

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